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執筆者の写真Mai Ishida

別れ

2024年12月9日朝5時20分、愛猫まさおが慢性腎不全で亡くなりました。13歳3ヶ月でした。




今までの思い出を自分のために記します。

来週から忙しくなるので、追憶が鮮明な今記さなくちゃ。

後半辛い内容が続きましたが、まさおが頑張った歴史でもあるから、日記に残します。


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まさおは今年の3月から腎不全でした。毎月1回動物病院に通院し、投薬やサプリの服用を続けていました。

10月20日頃から、まさおはドライフードを全く食べなくなり、ちゅ〜るをみても認知が遅くなりました(前週まではちゅ〜るを見ると飛んできていた)。

心配になり10月26日に病院に連れて行ったところ、慢性腎不全のステージ5だと診断を受けました。

腎臓の値もリンや貧血の値も危険で、即入院し24時間点滴が必要とのことでした(猫の点滴は、ほぼ人間の透析のようなものです)


ぜひ入院させてくださいと内心思ったのですが、まさおが大の病院嫌いなので入院が適切かどうか断言できないと医師の方から案内されました。

危険な状態ではあるけれど、エサはちゅ〜る系であれば旺盛に食べていたことを鑑み(本当にピンチな子は全くえさも食べないそうです)、180ml皮下点滴をしていただいてから一緒に帰宅することになりました。食べさせる物はもはやなんでもいいのでカロリー取らせてくださいとのこと。

心臓の動きに乱れがあるようで、もし点滴の量が多いと心不全を起こすかもしれないから24時間点滴が最適とも言い難いとの診断でした。


毎年猫ドックをして、今年に入ってからは毎月通院診察していたのですが、こんなにも急に体調が悪化するとは思わず、自分の理解が追いつかず涙が出てしまいました。

まさおに20歳くらいまで生きて欲しいなあなんて呑気なことを考えていましたが、一緒に過ごせる時間がそんなに長くない可能性が高いという事実に直面しました。


まずは1週間毎日病院に行き、180mlの点滴と造血剤の注射をして様子を見ることになりました。そして、11月に入ってからは私がまさおに皮下点滴を行うことになりました。病院の先生から点滴のOJTを受けました。


点滴まさお固定のために、全く使っていなかった猫袋をリメイクしました。

友人の刺繍アーティスト/杉野牧子ちゃんが教えてくれた技を思い出し、点滴を打つ部分に丸く穴を開け、ブランケットステッチでほつれないようかがりました。


まさおの介護が始まってから、私の喘息発作が止まりました。

喘息の数値が特に改善したわけではないのに。まさおのことに気を取られていて、体が忘れていたようです。


自宅から病院まで片道3km位離れています。点滴OJTで毎日通院する際、レンタサイクルを使用して行きました。外を見るのが好きな子なので、楽しそうでした。

2人でツーリングするこの時間の思い出は、いつかのまさおの旅立ち以降私の最大の支えになるのだろうなと感じながら自転車を漕ぎました。


とある日、私が乗った自転車のカゴに家の鍵と車の鍵がついたキーホルダーが入っていました。

私が借りる入れ替わりで自転車を返却した中年メガネ女性が置き忘れしたと思いました。

自転車のサービスセンターに電話してみたところ、交番に預けてとのこと。

まさお同伴で返却ステーションの目の前にある交番に鍵を預けました。

まさおは交番でとてもおとなしくしてました。そしてお巡りさんの受付事務作業を監視していました。


お巡りさんはまさおを見てとてもいい笑顔をしていました。猫好きな方だったのかもしれません。

通院中まさおは私にいろんな経験をさせてくれました。視界の見え方がいつもよりも鮮明でした。


自宅でのまさお皮下点滴ですが、私はそこまで下手ではなかったようです。無事毎日できました。

自分で点滴なんてできるんだろうかと不安でしたが、動物病院の先生の教え方が素晴らしくて、怖がらずにできるようになりました。肩甲骨の間根元皮膚を探って注射しました。

まさおは病院嫌いで診察台で暴れますが、自宅での点滴だとおとなしくしていました。


治療のおかげか、段々まさおの目に力が戻り、腎臓や貧血の数値がステージ3まで改善しました。

今までドライフードしかあげていませんでしたが、ウエットフードや医療用ちゅ〜る、高栄養食メルミルを食べさせるようにしたところ、ガリガリだった体重2.7kgから3.2kgまで増えました。

まさおはグルメに開眼し、頻繁に食べ物を催促するようになる程回復しました。

点滴介護で数年元気に過ごす猫ちゃんはたくさんいるみたいだから、きっとまさおもその猫ちゃんたちと同じだと信じよう。そう願いながら介護しました。


11月の下旬になってから、友人を招いてまさお女子会をしました(しかも2回も)


お客さん大好きで、横に座ったり膝で和んだりおねだりしたり。そんなやりたい放題お客様大好きのまさお。友人は皆復調した様子のまさおを姿を見て喜び、共に楽しく時間を過ごしました。


他、お出かけ大好きなまさおのために、リュックに入れて近所のあちこち散歩しました。

まさおは目をキラキラさせて喜んでいるように見えました。



でも12月に入ってから、なんとなくまさおの調子が下がっているような感じがし始めました。

病院での検査数値は危険水域を脱していたにも関わらず。


まずは、気配がいつもとおかしいと思いました。あれ、まさ、息している?と不安になる様子でした。まさおに近づいてみて、スヤスヤと呼吸して寝ている姿を確認でき都度ホッとはしていたのですが、何か不穏な気持ちになりました。とにかく気配が消えているように感じる瞬間が増えました。


そして、大好きなウエットフードやメルミルを出しても、8割食べたら私から逃げました。

ご飯を食べた後に薬やサプリや点滴をさせられることがわかっているからだと思いました。


亡くなる1週間前は、動物病院で診察を受けていた時にまさおは激しく暴れ、私の手を噛んで傷をつけました。


加えて、1ヶ月以上なんとか無事に行なっていた皮下点滴に違和感を感じるようになりました。注射針の入りがなんとなく悪い気がしました。

段々増えていく注射跡を見る度に、「まさお、辛いよね。ごめんね」と罪の意識を感じるようになりました。


亡くなる前日12月8日8日の夜、皮下点滴を行った1時間後くらいに、まさおがゼエゼエと息をあげるようになりました。

そして、胃の中のものを全部吐きました。糸状の血も出ていました。

ただ事ではないと感じ、すぐに救急病院に連れていきました。

診断の結果は「体温37.7度。若干低いは問題なし。慢性腎不全の子は嘔吐は普通。まさおくんの頻度は少ない方。強制的な吐き気止めを注射。心臓の音は問題なし。吐いて気持ち悪いからゼエゼエしてたと思われます。左足が膨らんだのは点滴液の移動の影響。肩甲骨あたりの点滴であれば、足に移動することはあります。次第に液は移動します。嘔吐の中の血は胃が荒れたからだと思われます。」とのことでした。

翌日すぐにかかりつけの病院に連れていくこととし、ガスモチン的な(吐き気止め)注射をして貰い帰宅しました。


でも何かいつもと様子が違う。苦しそうに寝ている。

心配でしたが、私と夫の疲労や睡魔も激しく、とにかく睡眠をとることにしました。


12月9日朝4時20分ごろ、夫が嗚咽している声が聞こえました。

夫曰く、私たち夫婦が寝ている布団の間や私の上に滞在した後、震えながら自分でトイレに行き、冷蔵庫の前で倒れたけれどまた起きて、私たちの書斎部屋の入り口で息絶えたとのこと。

(猫は死ぬ時に人の前から離れようとする。これは本当だったと後になって思いました)


私はすぐにまさおを抱きました。まさおの名前を叫んだ後、首がかくっとしました。

即、まさおが唯一好きだったサプリ(プロネフラ)をシリンジで口に入れろうとしましたが、口が動きません。息もしていないようでした。

おそらく夫の前で息絶えた時か、私が抱いてから首がかくっとした瞬間がまさおの最後だったのだろうと思います。

でも素人が死亡断定するべきではない、医師の方が正確に確認すべきだと思いました。また救急病院に連れていくことにしました。


まさお、今までずっとずっと辛いことを私たちに見せないように頑張っていたけど限界だったんだなと悟りました。救急病院でも私たちや医師に死が近づいていることを悟られないようにしたのだろうなと思いました。


21時代に行った救急病院に連れて行かなきゃと思ったのですが、その病院は丁度営業時間が終わったところでした。その病院からさほど離れていない場所に別の救急病院があることがわかり、すぐに連れて行きました。


2軒目の救急病院の診察台にまさおを移動してもらいましたが、もう治療しても仕方ないのだなと悟りました。蘇生に成功しても、まさおの余命は非常に限られていたことでしょう。

でも私は先生方に「多分難しいと思いますが、まさおが可哀想ではない程度での蘇生対応をよろしくお願いします」と、処置を依頼しました。

10分くらいの蘇生対応を行なっていただきましたが、まさおの息が戻ることは一切なく、5時20分に死亡確認がなされました。先生や看護師の方々がまさおを綺麗に清掃し、棺に入れてくださいました。



まさおの棺を自宅に連れて帰った後、行きつけの動物病院にご挨拶に行きましたが、皆さんかなり驚いていました。

「検査数値が段々良くなっていたし、昨日の診察でも元気に暴れていたのに。信じられません。

でも、冬って人間と同じように、動物の体調不良や死がとても多いですね」とのことでした。


まさおから噛まれた手の傷。ずっと残ればいいのに。私の体に刻まれろ。

傷を見ながら涙がこぼれました。

でも、皮膚は再生するだろう。記憶の死のようにその場からいなくなるだろう。


遺体は即日夜21時30分に火葬することになりました。

(段々水分が抜けてふわふわじゃなくなっていく姿が忍びなくて、夫婦で立ち会いできる死亡当日に火葬することにしました)


まさお女子会に参加したことがある美術作家/小野美幸ちゃんが、私が衰弱しているかもしれないと心配し、お通夜な我が家に来てくれました。まさおが大好きだった女子会ファイナルを開催しました。


美幸ちゃんには心から感謝します。

それまで、火葬に立ち会う勇気がないほど動揺していましたが、まさお(肉)女子会ファイナルでまさおのことやまさお以外のことを美幸ちゃんとたくさん話していると、心が調律されました。

そして、火葬車に笑顔で手を振ることができました。最後のお別れは笑顔でいたかったのでよかったです。


火葬してくださった業者の方はとても良い方でした。

大半のペット火葬会社の火葬では、30分くらいで強火で対応し、骨の形状がバラバラ粉々になるそうです。

遺族にはペットの火葬をすると骨はそんな状態になるのが当たり前と説明するそうです。

まさおを焼いてくださった方は、そんな業者が多いことに憤慨し、丁寧に火葬する会社を立ち上げたそうです。

2時間以上もかけてゆっくり焼いてくださったおかげで、まさおの骨はとても綺麗に残りました。

納骨もあっという間にスムーズにできるほど綺麗な状態でした。


業者の方からの発言で心が和みました。

「今までたくさんのペットの火葬をしましたが、まさおくんのしっぽの骨、形状が。。本当に猫なんでしょうか??? 猫とは思えない骨格でした!!!」


えw

あ、まさおやっぱり猫じゃなくてたぬきだったんだね(笑)

(今までいろんな人に、「まさおってたぬき?しっぽがたぬきだよね笑」って言われ続けていましたから)


亡くなった翌早朝、1人でまさおの骨少量を散骨するために、江ノ島岩屋に行きました(日本の法律では、粉状の散骨が可能です)

岩屋までの道のりは急な階段の登り降りが多くて、ヘロヘロになりました(叫)

でもこの道のり、長崎の祖父母の墓までの道の辛さとよく似ています。とてもきつかったけど、何故か嬉しい気持ちになりました。


まさお、籠に入れてもらってのお散歩が大好きでした。おでかけ大好きな猫でした。



太平洋を渡って旅して欲しいです。


私はいつか自分が死んだら、微量でいいから骨を長崎の海で流してほしいと妄想していたのですが、まさおが旅立った江ノ島沖もいいかもと思いましたあ、長生き希望です)


まさおが亡くなって数日が経ちました。

幸せに満ち溢れたクリスマスの曲が街角で流れるのを聴くのが辛いです。


目下小食です。こんなダイエットや嫌だ。

まさお介護に集中できるようにしたくて利用し始めたヨシケイのミールキットに救われています。

料理しないと溜まっていきます。強制的にご飯を食べないといけない状態に救われています。


玄関の前に行った時に聞こえていた、まさおの首輪の鈴の音が聞こえません。

料理中や歯間ブラシをしている時された頭突きもありません。枕元にもいません。


「頑張って」「元気出して」というありがたい言葉は、亡くなった直後の今の自分には辛いです。

実践しようとしてもできていないことだから。

でもきっと多分、来週くらいから、いや四十九日が過ぎてから、元気出して泣いてを繰り返して前を向くようになると思います。思いたいです。


後悔の気持ちが多いとペットロスからなかなか抜け出せないという記事をインターネットで見ました。

悔い、色んなタイミングでああすればよかったと顧みることがとても多かったです確かに。

まさおも私たち夫婦も医療従事者の方々も、その時々の最善を尽くしたはず。そう思うことにします。悔いよりも感謝だ。


写真家の川野恭子さん/ 上瀧由布子さん/ 牧野友子さん、福岡の大親友ケメちゃんからもお悔やみや労いの頂き物を受け取りました。ありがとうございました。

気を抜くと泣いてしまう今の私にどんなに力になったことか。一生忘れません。

川野恭子さんは、気晴らしに銀座写真展巡りに誘ってくれました。色んな価値観との触れ合いにとても励まされました。


昨日は友人/マサムネちゃんが自宅に来てくれました。まさお(骨)との女子会をしました。



マサムネちゃんは医療従事者(助産師)です。

必死にまさお介護をする際に作ったデータを見て貰いました。



マサムネちゃんは「これさ、もうもはやカルテを同じだよ。すごい。まさおがどれだけ愛されていたかが良くわかるよ。あとExcelの変態すぎだよ(笑)」

「まてちゃん(私のあだ名)の腕の中でまさおは息を引きとったと、私は思う。

耳は最期まで聴こえているから話しかけて、という話があるの。

まさおは、あたたかかっただろうと思う。

旦那さんが気づいてあたためて、まてちゃんが抱いてくれたのなら、それは2人でまさおのためにできることをしたんだよ。わたしもそんな最期だったらいいな、と思うお看取りだよ。」と言ってくれました。


嗚咽。

自分が行なっていることが正しいのかまさおのためになっているのかずっと不安だったので、マサムネちゃんに労われたことで心がかなり救われました。


一昨日から私の喘息のダミ声が普通の声に戻りました。まさおが声を戻してくれたのでしょうか。

もうこうなったら、「困った時のまさ頼み」をしよう(笑)


最後に。

私は初めてまさおを迎える際、病院で誓約書にサインしました。



「必ず最後まで世話をすること。看取りまで責任を持つこと」


まさちゃん、私ちゃんと責任持てたんやろうか。世話できた?

ステージ5から這い上がり、1.5ヶ月もロスタイムをくれてありがとう。

この1.5ヶ月、私はとにかく幸せだったよ。


少しずつ心が調律されるといいなと思います。

あと、私だからできる弔いを一つ、生活が落ち着いたら実行したいと思います。

そのためには元気を出したい。


まさおを愛してくださった方々、気にかけてくださった方々。今までありがとうございました。

と、過去形にしましたが、私の中では今後も現在形です。


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