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執筆者の写真Mai Ishida

日記



8月からですが、20年ぶりくらいに日記をつけるようになりました。


続くかなあ・・と思いながら恐る恐る書いていたら、気づいたら日に複数回書くほどハマっています。

まるでTwitterの投稿のようなペースで書いています。


iPhoneアプリで書いているから続いているのだと思います。


私、過去書いた日記については、何を書いたのかを自分でも怖くなるくらいによく記憶しています。


35歳の時、東京に出てくる前だったのですが、20代まで書いていた日記を全部シュレッダーに掛けました。だからそれまでの日記は手元に残っていません。

それでも書いた内容は覚えています。

日記10冊目の半ばの右ページに、変なアルファベット表記をしたことでさえも覚えています(「だめだよね」と書けばいいところを、「DAMEDAYONE」と書いていました。寒い表現だ....)


そういえば私、小学生の頃にやってた交換日記のことも覚えています。

黄色のくまちゃんの顔がでかでかと載ったノートに書いていました。

授業中に書いて友人に回していました。

(1国民1スマホなこのご時世では、今時こんなことやらないだろう。。。)


また、日記に書いてあるうれしかった出来事のページは(だいたい恋バナ)、写真を見返す感じで何度も読み返していたから、書いている内容を覚えてしまいました。


日記を書くようになってから、自分が日常感じていることを見返すようになりました。

写真や仕事への刺激と励みになっているように感じます。

日記はなにせリアクションを独り占めできる世界なので、書くのが楽しくてしかたがありません(長文人間なので・・・汗。毒舌もし放題です、笑)


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自分の日常の振り返りをしたいと思わせる大きな出来事がありました。

7/25に、関東に移り住んでから初めて出来た会社以外の友人が突然亡くなりました。


今はやっと落ち着いて思い出せるようになりましたが、そのニュースを聞いた当初は、動揺し、気を抜くと涙が止まらない状態でした。亡くなる数日前まで、海外出張に行っていたはずなのに、どうして、、


友人は同じ年齢で、田舎が一緒でした(福岡)

お互い仕事で悩んでいる時期に会って気晴らしをしていました。


お互いその時代の仕事から転職しました。

最近の彼の活躍をSNS上で見て、「すごかあ。水を得た魚のように励んでいるんだなあ。私も頑張らんとなあ」と感じていました。


彼はありとあらゆるSNSを日に数回更新する人でした。

IT系のお仕事をなさっていたので、日々の記録と実用も兼ねていたのだと思います。

でもある日から、彼のSNS更新が止まりました。


その様を見て、事実を認識することに激しい抵抗感を持ちました。

ログインが出来なくなりました。

最後の投稿から時間が経過していることを実感したくなかったのです。


彼は毎日、お花の写真を撮って投稿していました。


私は今、友の死の5日後から、手向けの気持ちで毎日お花の写真を撮っています。

iPhoneで縦位置でサクッと撮っています。


毎日はや40枚外でお花の写真を撮っていると、気づいたことがあります。


手向け花は、本来故人に対して捧げるものです。

でもこれ、手向けを行う行為者のための行動でもあるなあと感じます。


毎日お花を撮るとなると、否応がなく自分の生きるテリトリーでお花を探します。

私は生きている。この環境で生き、この環境で生かされている。

それを毎日痛感させられます。


亡くなった友は、お花を撮ることで生きている世界を実感する時間を日々持とうとしたのかもしれない。


そこで、彼の死以降、日記をつけるようになりました。

私は残りの人生、ほんとのきもちを実感しながら生きていたい。

生きている時間を実感するには、私の場合、日記を書くことが必要だ。そう思ったからです。


日記、結構荒い言葉で書いていたりもします。

ヘドロみたいな気持ちのことを書けるのがうれしかったりします。

まるでトイレの個室みたいな存在です、日記は。


もし私が急に亡くなることになっても(絶対嫌だ、長生きしたい)

激しく主観的になれる時間を持っていれば、自分の魂を送り出す刺し油になるかもしれない。


前を向いて歩いていくしかないし、歩いていきたい。


そんな気持ちでいっぱいになり、私はとある写真を纏め始めました。

自分と対話しなければ。


友人の冥福を、日々祈ります。


今までありがとう。

これからも励みに生きていきます。










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