
私は読書家ではありません。
文章を読むのも書くのも好きですが、分厚い本を読むのが苦手です。
(集中力が散漫なのか、気が散って他のことをしてしまう。。)
小学3年生の頃、学年で一番本を読んだで賞というものを学校からいただいたことがあるのですが、実は・・本、読んでいません。
毎回10冊の本を借りてはいましたが、積読で、ほとんど読んでいませんでした。
いじめられっ子だったので、居場所を求めて図書館によく行っていただけの話です。
そんな私が文章を求め、毎日読んでいたのは、新聞です。
まずは3面とテレビ欄から読み、広告欄を読み、スポーツ欄を読み、目に入っちゃったからしょうがなくついでに1面と政治欄を読む。
新聞が今の私の価値観を作ったといっても過言ではないです。
(ちなみに、購買歴は、朝日→毎日→ちょっとだけ読売、また朝日、最近はたまに東京新聞を読みます。図書館では日経とちょっとだけ読みます。
新聞は会社のカラーが如実に出ているので、偏らないように読みたいです)
もとい。
1番目の大学では文学部だったにもかかわらず、遊びに夢中で、ほとんど本を読んでいませんでした。単位取得のために、指定図書をいやいや読む程度でした。
下記の本(いや詩集だ)だけは、何度も読み替えていましたが。
(妙齢になった今も読み返しています)
■ 詩のこころを読む (岩波ジュニア新書) 茨木 のり子 著
自分にとって大切な人2人くらいにプレゼントした気もします(記憶曖昧)
12年前に書いたレビューを以下転記します。
「 オススメできる本・・一つしかないです(泣)
忘れっぽいので、読んでも内容を結構忘れてしまうほうなので(*О*)。そんなに読者家ではないのですが、この本は例外です。大切な本です。
20歳の頃から、一年に一度読むようにしています。岩波ジュニア新書なので、10代向けの本ですが、深いです。 命を終える間際まで持っていたい本です。
茨木さんの解説は、誰にでもわかる言葉で語られています。難解な言葉という暗号を使って読者を遮断することなく、本は一貫して優しい、感受性豊かな言葉達に彩られています。
この本を読んで以来・・この世には、とてもキレイな言葉を並べた詩がたくさんあります。でも、それは飛躍した(丁度、飛行機の離陸をしたような感じ)ものでなければ、作者は自分で自分の言葉に対して責任を持てていないんだろうなと思うようになりました。
大好きな詩は、岸田衿子さんの詩です。短いけど、深いです。
『一生おなじ歌を 歌い続けるのは』
一生おなじ歌を 歌い続けるのは
だいじなことです むずかしいことです
あの季節がやってくるたびに
おなじ歌しかうたわない 鳥のように
『アランブラ宮の壁の』 アランブラ宮の壁の いりくんだつるくさのように わたしはまようことが好きだ 出口から入って入り口をさがすことも 他にも、たくさんたくさん、素晴らしい詩が載っています。
特にP220の茨木さんのコメントはきっとみなさんの心に響く一節だと思います。 」
う~ん、愛があふれたコメント。
しかも、12年経った今も、レビューに対する気持ちに変わりなしです。
1度目の大学を卒業して以来、図書館で本を借りて読むようになりましたが(今度は積読率低し)、2度目の大学(写真コース)に入学してから、偽読書家を返上したくなるほど読書に勤しむようになりました。
多分、写真の読み解きに通じると思うのです、読書は。
自分の読み解き、見解は正解でも不正解でもない。
ただ、自分にとっての正解だ。
その正解は、何かの定義に値するのか。
10代の頃、陰気漂う日本の近現代文学を読んでも、「気分がどんよりしした。読まなきゃよかった(涙)」と思っていたものですが、最近は違います。
定番な、夏目漱石の『こころ』や中島敦の『山月記』が、心に沁みます。
内的意思と外的意思が人生を作る。
1度目の大学の卒論で書いたテーマが、今の自分に跳ね返ってきたような気がします。
(取り扱った作品は、トマス・ハーディの『テス』でした)
ところで、小学3年生の頃、一番本を読んだで賞を取った時、どんな本を借りたんだろう。
今、読みたい。
でもそれは、掴めない雲のように、追い求めても得られない。
残りの人生は、好奇心のままに本を読みたいです。