
数年前に、『 作家のおやつ』という本を読んだことをふと思い出しました。
本曰く、三島由紀夫さんがヒマワリの種が好物だったとか、植田正治さんが石村萬盛堂の鶏卵素麺が好きだったとかとか。
概ね作家の皆さんは、和菓子派洋菓子派果物派に分かれるなあと思いました。
ところで、自分のソウルスイーツは何なんだろう。
以前、家族と長崎の原爆被爆者だった祖母の話をとした時に思い出しました。
その時、私が子供の時に亡くなった祖父がどんな人だったかも聞きました。
祖父は、戦争に行くまで印刷所で勤務をしていたそうです。
学校の表彰状とかのお習字を書いていたらしく、字が達筆だったそうです。
また、戦争から復員してから海産物売りの仕事を始めたそうです(だから祖父母の家ではずっと猫を飼っていたのかあ)
元々は農家の出だけど末っ子?で分けて貰える畑がなく、就職するしかなかったとか。
祖母は親戚がほとんどおらず、旧家の女中さんをしていたそうです。だからか、戦後、洋裁の仕事をしていた祖母のセンスは半端なかったです。
叔母が洋服のお店をするようなったのも、私も洋服好きになったのは、祖母のおかげだと思います。
もとい。私の思い出のおやつは何だろう。
多分、祖母が作ってくれたさくらんぼが入った赤い寒天が一番だろうと思いました。
祖母の赤い寒天は、さくらんぼが入っていました。里帰りの度に出してくれました。
上品すぎる味で子供の頃の私には美味しさがわからなかったけど、今だったら、お茶受けに食べたら絶品だったろうなと感じます。
祖母は、母や叔母が子供の頃、おやつにシュークリームなども作ったそうです。
今思うと、祖母は寡黙でしたが、とてもハイカラだったなあ。
祖母が被爆した時のことを聞きました。
その時祖母は仕事中(荷物の配達中?)で、原爆投下されると屋根が降りかかり、ガラスの破片が全身突き刺さって、重傷を負ったそうです。
同じ時間、祖母の目の前に立っていた長崎大学の学生は、さっきまで元気だったのに、原爆投下後数分であちこちから血を吹き出し、「アメリカなんて大嫌いだ!」とつぶやいて目の前で亡くなったそうです。
祖父も祖母も、私が成人する前に他界してしまったのが口惜しい。
人生の先輩として、話をたくさん聞いてみたかったな。
戦争の記憶が薄れゆく現在、リマインダーのように終戦記念日に関連番組放送をすることはもちろん大事だけど、一番大事なのは、戦争についての家族間対話や、学校の学習課程の見直しをすることのように思います。
あなたはどう思うのか。それを言葉でブレインストーミングしないと、将来どうなるんだろうと不安になります。
選挙の投票が高齢者ばかりになると、高齢者だけにとって都合がよい政治が行われることになるので、候補者名無記載でもいいから、若い人も投票に行くべきだと私は思います。
それにしても、祖父母話に限らず、色んな人生の先輩方の経験話は勉強になります。
ちなみに既製品での私の大好きおやつは、︎サッポロポテトベジタブル味/︎不二家のショートケーキ/三立いちごパイ。これに尽きます。
そして今、 パン・オブ・ザ・イヤー 食パン部門金賞受賞 の乃が美の「生」食パンを食べすぎて、おなかが痛いです。。