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団地~生きていた記憶~

執筆者の写真: Mai IshidaMai Ishida



私は団地好きです。

昭和30年代に建った団地に、赤ん坊の頃から19歳まで住んでいました。

関東に住むようになっても団地萌えは変わらず。

阿佐ヶ谷住宅がとりわけ大好きです。団地界のスターです。写真は数年前、取り壊される前の阿佐ヶ谷住宅です。


私の住んでいた福岡の団地も老朽化で取り壊されました。

写真を全然撮ってなかったから、どんな団地だったかはもはや自分の記憶をたどるしかありません。団地撮影は無き故郷を求める旅なのかもしれません。


私は、住んでいた福岡の団地がとにかく大好きでした。


オンボロ団地のおかげで、それなりに自然に戯れる機会がありました。

住んでいた2棟には夏みかんの木、6棟と7棟にはサクラの木、給水棟の周りにはキョウチクトウと梅の木がありました。大きな木にはロープが張られていて、木登りやブランコをしていました。


団地のエントランスには、大きな大きなソテツの木がありました。

ソテツの木のまわりをグルグルと走っていたら、団地の中にあった商店街の酒屋さんのご主人が追いかけて、遊んでくれました。

同じ苗字だったこともあり、とても可愛がってくれた酒屋おじさん。おじさんは、40代そこそこで亡くなりました。肺ガンでした。


5階に住んでいたおばあちゃん。よく家に上らせてくださいました。お人形をくださったり、一緒におまんじゅうを食べたりしました。おばあちゃんも、亡くなりました。


ドッジボールのチームで練習していた時、いつも麦茶やアイスを用意してサポートしてくれた子供会のおばちゃん。40代くらいだったと思いますが、やはりガンで亡くなりました。


私にお初ボーイフレンドが出来たのは5歳の時でした。一緒に遊んでいたその男の子は、ある日急に亡くなりました。団地の商店街の中にあった商店の息子さんでした。

道端のヘビイチゴを一緒にとって食べたり、コンクリート壁を一緒によじ登ったりして一緒に遊びました。


ある日、その男の子のご両親は離婚しました。男の子のおじいさんおかあさん、男の子の3人は軽トラックに乗って夜逃げのように団地を出て行っていた矢先交通事故で亡くなりました。

その当時、まだ私は小学校にも行っていないほど幼かったので、男の子の死が全く理解できていませんでした。


古い団地にいたことはとても大事な思い出です。団地に住んでいた人達に支えられ、育てていただいたのだとよく思い出します。そして、団地の住民の死にも定期的に接していたことが、己の死生観を形成したようにも思います。


今はその故郷の団地も、マンションのように建て替えられすっかり昔の団地は、ダムの底に沈められたように面影がなくなってしまいました。

そんなボロ団地が私の故郷と思っています。1番撮りたくてたまらない場所、故郷ボロ団地はもうありません。


私は、自分の住んでいる街を沢山撮ってます。当たり前の風景は、いつかかけがえのない場所になると思います。


阿佐ヶ谷住宅も今はすっかり姿を消し、更地になりました。

土地には複数の思い出が刷り込まれ、そして消え、新たな思い出が刷り込まれていきます。



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