Mai Ishida
片道の手紙

人との出会いは一期一会。
私は、最初で最後の出会いをあまり好みません(しつこい??)
ですが、最初で最後の出会いでよかった、これからもずっと私の中で生き続けるだろうという思い出がいくつかあります。
そのうちのひとつ、27歳の時の、ベトナムひとり旅での出会いを記します。
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長年好きだった人との繋がりを、切断してしまいました。
そうしないと、自分の人生の舵取りができないまま生きてしまいそうな気がしたから。
そうしてよかったのかわからない。
多分、良し悪しの分別がつかないほど追い込まれているのだろうな、私は。
自分にもできることがあるのだと実感したい。
仕事に繋がる勉強になると思い、一般旅行取扱主任者試験を受験したけれど、合格した瞬間に達成感は薄まってしまった。
違う。勉強とかじゃなくて、自分に足りないものはおそらく勇気なんだろう。
そうだ。ベトナムにもう一度行こう。
あそこは私が初めて行った外国だ。
行けば、自分が根本的に変わったのかどうかを知ることができるだろう。
でも本当は海外ひとり旅が怖い。
楽しかったといつも結論づけているにも関わらず。最初の一歩が怖い。
おそらく、23歳の初海外のベトナムで食中毒検疫に引っかかってしまったことが、内心臆病にさせているのだと思う。
そういえば当時は、ベトナム女ひとり旅が珍しく、関西空港の搭乗ゲートで知り合った三重の企業の人たちにかなり心配されたっけ。
食あたりで寝込んでいた時、おじさんたちがホテルの部屋に電話をかけてくれて、元気づけてくれた。
その会社の跡継ぎの男性と仲良くなったけれど、旅の魔法が解けると、縁は途絶えた。
ああ、やさしさと薄情さのバランスに戸惑うのが苦手だから、海外ひとり旅が怖いと思うのかな。
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ベトナム旅行2日目に、ホーチミン歴史博物館に行くことにしました。
(この写真はホーチミン歴史博物館ではありません。美術館です)
滞在中のホテルから距離があり、方向音痴もひどいので、タクシーをホテルで拾って向かうことにしました。
この時は、このぼったくりタクシーが、その後の旅の運命を変えることになるとは露とも思っていませんでした。
ぼったくりだと気づいたのは、遠回し運転したり、わざと渋滞する道を通っていたからでした。メーターがガソリンスタンドの給油メーターのようにぐんぐん上がっていく。。
やっとのことで歴史博物館前に到着しましたが、請求されたのは多分通常の10倍くらいの運賃額でした。
下手な英語で、「これはおかしい、ホントはこれくらいの運賃のはずですよね?!」と言っても相手にされず。
問答繰り広げ、気づいたら、私の乗っているタクシーのせいで片道一車線の道が大渋滞していました。後ろから罵声がたくさん聞こえてきました。
早く切り上げないと、危険だ。
怯えながら、博多弁で「〇〇〇円以上ははらわんけんね! ばりむかつく! なんばいいよらすと?!」(確かそんな口調だった)と啖呵を切ったところ、タクシー運転手が「もういい、はやくおりろ!」的なベトナム語で返してきました。
通常の70%増しくらいの現金を叩きつけるように渡して、車のドアを激しく閉めて降りました。
ぼられた自分の未熟さに情けなくなりました。
歴史博物館に入りコリドーに着いた瞬間、大人げなく号泣してしまいました。
寂しい。心が空っぽだ。情けない。
誰でもいい。誰でもいいから話したい。
そう思うようになり、コリドーにいた女性に英語で声を掛けました。
その女性は「あ、私、日本人です」と返してくれました。
白いTシャツ、白いダボダボしたパンツ姿で、水彩絵の具で絵を描いていました。
艶のある黒髪ショートで、オノ・ヨーコさん似のはっきりした顔立ち。50代くらいの女性でした。
「・・・あなたは、多分いい人ね。
わかった。今日一日一緒にホーチミンを回りましょう。
私はもうすぐ日本に帰国する予定なんだけど、未だに観光していないのよね。つきあってくれる?」
彼女(以下、ヨーコさんとします)はそう私に告げました。
私、もしかしたら、これ・・ナンパしちゃったのかな、うぐぐ・・とは思ったのですが、これから何があるのか見たい知りたいという好奇心が上回り、一日ヨーコさんとご一緒することにしました。
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ヨーコさんは絵の具まみれの服を着ていたので、着替えてから観光しようということになり、彼女の自宅について行きました。
自宅はてっきりアパートかなと思いきや、真っ白な豪華マンションでした!
そう彼女は、某大企業の工場責任者の奥様でした。
「綺麗な格好をしているとすられるかもしれないし、絵を存分に書きたいからねえ(だからこんな格好をしているの)」と仰せ。
ナンパ、すごい魚を釣ってしまった(叫/震)
ヨーコさんとはベトナム料理店でランチした後、名前は忘れたけどメコン川沿いの公園に行き、ディナーを食べ、夕刻には別れました。
「楽しかったわ。あなたと会えてよかったわ」とヨーコさんは言いました。
でも決して「また会いましょう」とは言わなかった。
ただなぜか、私の滞在しているホテル名を聞いてきました。なんで??と思いながらも、赤の他人の私にご馳走し観光につきあってくださった優しい方だから、まあいいか・・と思い、ホテル名と私の名前を伝えて別れました。
翌日、私はひとりでホーチミンやミトを観光しました。
夕刻になりホテルに戻ると、部屋のテーブルに謎の豪華フルーツ盛り合わせが置いてありました。
訳が分からず動揺していたら、ホテルの責任者が私の部屋に来ました。
「〇〇社の●●様の奥様より連絡をいただきました。
『私の大切な友人があなたのホテルで拾ったタクシーで不当な運賃請求をされたのよ』と仰っておりました。
大変申し訳ございませんでした! お詫びにこちら(豪華フルーツ)をお納めくださいませ」とのこと。
何、これ。
泣いてもいいでしょうか。今、人の優しさへの耐性がないよ。
感動していたら、ヨーコさんから私の部屋に電話がかかってきました。
「驚かしてしまってごめんね! 昨日は付き合ってくれてありがとう。とても楽しかった。
日本に戻る前にいい思い出が出来た。ありがとう」とヨーコさんは弾んだ声で私に告げました。
お礼を述べた後、私はヨーコさんとのつながりができたことが嬉しかったので、「ヨーコさん、日本に帰国したらまた会いましょう! 住所教えてください。手紙を書きます!」と返答しました。
故郷福岡に帰り、仕事に励みました。
ヨーコさんが帰国する春には手紙を書こうと胸を踊らせながら。
片道の手紙への返信はありませんでした。
その後私の仕事は忙しくなり、亀の歩みではあったけれども、少しずつステップアップしていきました。
月日を重ねても、ヨーコさんからの手紙は私の元には届きませんでした。
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憶測に過ぎないのですが、おそらくヨーコさんは、私との関係は旅の間のみと初めから察知していたのではないかと思います。
旅での出来事はどうしたってドラマチックな思い出になる。
その思い出が自分にとって大事であればあるほど、純度の保ち方を考える。
ヨーコさんとの出会いから、もう長い歳月が過ぎました。
今ヨーコさんがご存命なのか、どこにいるのか。そもそもお名前は何だったか。
覚えていません。
でも、この時の旅の思い出は、数十年経った今でも私の中で鮮明で、写真よりも明確に記憶しています。
私もこれから徐々に老いを重ねていくことでしょう。記憶の鮮度はおそらく変わる。
だから今、ヨーコさんありがとうを日記にしたためます。
旅は私に変化をもたらすことはなかったけれど、誰にも譲れない思い出を持つことができました。
最近海外旅行、すっかりご無沙汰だな。
また行きたいです。
一期一会の出会いが、永遠の出会いとなることもあるのだ。