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  • 執筆者の写真Mai Ishida

よく沁みたおでん


一昨日、京都造形の後輩の方々が開催しているグループ展に行き、その後一緒に飲みました。

締めにおでんを食べました。


その時ふと、22歳の頃の思い出がよぎりましたので、ここに記します。


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ああ、彼氏に振られた。

そっか、違う女の子と仲良くしていたのか。


近々別れるのではとなんとなく予感していたので、いざ振られてもさほど驚きはなかった。

けれども、予想外の理由での幕引きだったゆえか、 悲しさが日に日に身に染みてきた。


「あんたは人に対して壁を作る。格好つけるんだよね。甘えないし。だから相手が疲れてしまう。その癖を直さないと、これからも同じことを繰り返すよ」と診断してくれた人がいた。

そうかもしれない 。理由があるからこその結末だ。


でも、もうすぐ私は大学を卒業し、この街を離れ実家に帰る。環境が変われば気持ちも変わるだろう。

祈るような気持ちで、それからの月日を過ごした。


年が明けた1月の或る日の夜中 、バイト先の同僚レイコちゃんが私に電話を掛けてくれた。最近の私の様子がおかしいことに気づいての電話だった。


「ううん大丈夫、平気だよ」と私は天邪鬼な返事を何度もしていたが、しばらくすると、レイコちゃんは苛ついた様子で「もういいから! 辛いなら辛いっていいなよ!」と電話線越しに私を叱った。


すると、頑なな気持ちが徐々に緩んできた。

そして、「レイコちゃん。ありがとう。本当は私 辛か ったの」とやっと本音を言うことが出来た。

「じゃあさ、今からそっちに行くよ! 家族の車で行くからちょっと待ってて! 」と言い、その後レイ コちゃんは私の家に来てくれた。


彼女の傍らには、大きな鍋があった。


その中にはたくさんのおでんが入っていた。

レイコちゃんのお母様が 面識のない私のためにわざわざ準備してくださったおでんだった。


つゆによく染みた大根やこんにゃく。黄金色のさつま揚げ。

日焼けのように小麦色に染まった卵。


ひとつひとつを口にするたびに、レイコちゃん親子の優しさが私の冷えた心と体を温めてくれた。

本当はおでん、あまり好きじゃない。

練り物ばかりのおでんは自分から好んでは食べない。


でも、レ イコちゃんが届けてくれたおでん、おいしいな。

そうつぶやいていたら、それまで我慢していた涙がとめどなく溢れた。


人に甘えることは悪いことではない。素直になりたい。

この深夜の出来事は、私の背中を押す大切な思い出となった。


それから数年後、私はレイコちゃんの結婚式に参列した。

その時、おでんを作ってくださったお母様に初めてお会いしたが、私があの時のおでんの友人ですとは告白出来なかった。

私の臆病は本質的には変わ っていなかったのだ。


それから更に数年後、レイコちゃんのお母様は亡くなった。


毎年1月になると、レイコちゃんのお母様のおでんの味を思い出す。

年明けの希望と不安に満ちた月に食べるおでんは、優しい味がする。


今私は40代半ば。おでんをふるってくださった当時のレイコちゃんのお母様位の年齢になった。



私には宿題がある。


いつか私が亡くなり、来世でレイコちゃんのお母様にお会いすることが出来るのであれば、その時こそお礼を言おう。


「美味しかったです。骨身に沁みました。ありがとうございました」と。



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